(シリーズ「生き残りをかけた・・・」いつまで続く?)
住まいの価値をどこに見出すか。
数値化するのは分かりやすい。CO2排出量が◯◯%削減できます。光熱費が◯◯円安くなります。断熱効果が・・・、高機密高断熱が・・・、耐震性能が・・・。
しかし、数値化されてできたものは目に見えるものではなく、そのうち「あたりまえ」となり忘れる。もちろん思い出したように体感することもあるだろう。たとえば地震があってはじめて耐震性能を実感するように。
でも普段は?住宅だけでなく、何事もダメなところは目に付くし印象として強烈な印象としいて意識に残る。逆にいいところはあたりまえのように意識からはずれる。なので、見た目に「きれい」であることは前提として備えておかなければならない。その上で、ふっとした時に「ウチってかっこいいなぁ」「ここの照明がいいなぁ」「あ、ここからこんな光が入ってくるんだ」など、いろんなところに気付く生活。その上で「え??ウチのカミさん、こんなにきれいだったっけ?」「ウチのおかあさん、かっこいなぁ」と思えるような設えであると、幸せな家庭になると思うんですけどね。そのために、使う素材、色、照明、光、線などに最大限の気を使って設計している。
もちろん住宅の性能評価を軽んじているわけじゃないですよ。そこにこだわり過ぎて、大事なことを忘れていませんか?という話。
『数値化された価値だけしか見ていないと、本当に快適な住まいは作れない』
昔の日本の家って、なんであんなに快適だったんでしょうね?
午前、熊本案件の施主打合せ。
午後、フタコ案件の現場で工務店打合せ。
夜、松濤案件の工事申請図面など。