昔からミーハーです。
Aldo Rossi、Ettore Sottsass、Gaetano Pesce、Carlo Scarpa、John Pawson、George Sowden、倉俣史郎、内田繁、喜多俊之、、、あげはじめたらキリがない。
その中の何人かの方とは仕事の上でお会いしたことがある。ありがたいことで、舞い上がって何を話したのか覚えていないほど。
Ettoreさんもそのひとり。サラリーマン時代、Sottsass Associatesに窓のデザインを依頼した。残念ながら担当は室長だったが、プレゼンなどの会合には無理やりにでも同席した。本人には個展『ソットサスの窓展』の時にお会いしただけだったが。
さて写真の腕時計はSEIKOから発売されたEttore Sottsassのデザインによるもの。
昨日書いた『Momento』以降、初めて購入した腕時計だ。
腕時計の機能はもちろん『時間を知る』ということだが、身につけるという要素を考えると、極めてファッション的な要素が大きくなる。文字盤の大きさ、色、表示、バンドの素材、色などの要素でセレクトされる様は、靴や服と同じ。洋服の数だけ腕時計は必要なのかもしれない。
プロダクトデザインの世界では『機能美』ばかりを追求し、華美な、いや最近ではわずかな装飾をも排除することが多い。もちろん無意味な装飾やデザイン(例えば奇を衒って丸くしたり斜めの線を入れたり)はよくない。しかしそこに込められたウィットやユーモア、アイロニカルな表現も時には必要なのではないか。
なんだかデザインを目指した頃の初期衝動に似ている感覚を取り戻すことができる。
そういえば、昨年のMilano Saloneでメンフィスの展示がひっそりとされていた。日本で(もちろんそのほとんどは雑誌で)見ていたメンフィスの家具やファブリックは刺激的で、インテリアの他の要素に合わせるのは非常に難しい、いや無理だろうと思っていた。が、ミラノの古い漆喰の壁、大理石やオークのヘリンボーン貼床の部屋に置かれたメンフィスのデザインたちは不思議にしっくりとはまっていた。そこにEttoreさんのものはなかった(George Sowdenのファブリックはあった)が、メンフィスを引っ張ったEttoreさんのことを心底恐ろしいと感じた。