ここ数日、若い頃に好きだったミュージシャンの訃報が続く。当時は音楽を通じてファッションや言動、生き様などを学び、憧れた。彼らが持っている楽器だけではなく、着ている服や乗っている車など、そのほとんどは手にすることはできなかったが、いつかは!!なんて意気込んでいたこともあった。そんなさなざまな興味から自分でできるものとして、今の職業に繋がったのかもしれない。
訃報はミュージシャンだけでなく、建築家や芸能人も続く。ここ最近急増したのではないと思うが、知っている人、憧れた人が亡くなったときのショックは大きい。その中でも1991年2月に倉俣史郎さんが亡くなったときはショックだった。その少し前に数回、事務所にお邪魔したばかりで、ようやく憧れの人に会えた緊張感が解けぬままだった。倉俣さんは56歳で亡くなった。自分はすでにその歳を超えた。
そんな状況だからか、最近『メメント・モリ』という言葉をよく目にする。頭では分かっているが、簡単には受け入れられない。そもそも死を意識することは必要なのか?意識したところで抗えない。意識することで今を大切にできるのか?死を迎えた時にわかるのか?でも死んでしまえばそれさえも意味がないものになる。結局答えは出ない。
1月も2週間が過ぎたというのに、何も変わらない。相変わらずな毎日。落ち着かない。ベクトルが違う仕事はずいぶん減ったが、それでもまだやることは山積。
1月13日(金)午前、代々木案件の現場。午後、巻き込まれおもしろ系プロジェクトの展示会場の下見。夕方、千葉県立美術館で「彼女」展。夜、事務所
1月14日(土)夕方まで事務所。夕方、入船studioで悪巧みミーティング。そのまま新富町で一献
1月15日(日)渋谷で授業2コマ。夜、事務所
1月16日(月)大阪案件の現場が19日にずれたので終日事務所
1月17日(火)終日福井案件の現場でキッチン取り付け立ち会い